『文明の敵・民主主義』
西部邁著 時事通信社 2011年10月刊



 20数年前に書店で手にした『テロルの現象学 観念批判論序説』(笠井潔著 作品社刊)と『夢の明るい鏡 三浦雅士編集後記集1970.7〜1981.12』(三浦雅士著 冬樹社刊) の装幀に驚かされた。表面に小さな穴が無数にある前書と表面に無数の小さな突起がある後書は手触り感のある本であった。いままで、触れることで装幀の凄さが見えてくる本にお目にかかったことはなかった。装幀者は菊地信義さんであった。
 他にも触覚感のある本もあるが、それは岩肌のような凹凸を模様にしたエンボス紙(最初から凸凹が処理された紙)が使われている本で、とりわけて凹凸をデザイン意図にしたものではない。しかしこの二冊は凹凸を意図したデザインであって、通常使う高価な箔押しや箔上げではなく、今は消えてしまった活版印刷の空打ち(インキを付けない)で作ったものである。柔らかい紙でないと効果はでないそうだが、しっかりとした感触感がある。この触って驚いた本の記憶が、二〇年を経て『文明の敵・民主主義』の装幀につながっていく。
テロルの現象学(部分)
テロルの現象学(部分)

夢の明るい鏡(部分)
夢の明るい鏡(部分)

 この本の著者は敬愛する西部邁先生で、初めて装幀を手掛けさせていただいた『リベラルマインド』から21年が経ち、その間に『発言者』、『表現者』の雑誌や先生の単行本などの装幀の数はすごく多くなっている。時代ごとに並べてみると装幀の流行が見えてくる。そして何冊かは現代の印刷技術だったら、より簡単にデザインの効果を出せた本もあるが、技術の問題だけではなく、デザインがその時代を反映しているのが面白い。今回の装幀は新たな発想で、本の触覚をテーマとすることになった。

 まず装幀はゲラ(頁構成がされてない棒組の原稿)読みから始まる。文学と違い思想書は早く読めない。それに先生をよく知っているので、先生の声が聞こえてくる。その声を振り払って読み進む。本当に理解して読んでいるかどうかはこちらの問題であるが、内容の要素が少しずつ頭に堆積していく。その要素ひとつを早急に装幀のヴィジュアルにすることは出来ないが、時にそれがヴィジュアルを考える助けになる場合もある。しかし哲学や思想書は文学と違い、絵や写真のようなヴィジュアルが当てはまるケースは数少ない。。
 この本は、西洋思想史を掘り下げながら、民主主義の弊害を、また民主主義を構成する大衆にメスを入れた力作である。
 装幀は難しく、なかなかアイディアが湧いてこない。そんな時に、あの菊地さんの装幀の触覚のある本が、頭に浮かんできた。恐ろしい大衆社会とその大衆を洗脳するメディアの権力が国家を破壊していく姿を触覚の世界には置き換えられないものだろうか? スケッチブックに大衆をドット(小さな円)に喩えて無数描いてみた。このランダムに描いた大衆がメディアに洗脳されて一方向に向かっていくのなら、ドットを整然とした四角と三角に並べ替えてみた。デザインとしてまとまりそうである。 
 ドットの全体が四角の形になるようにして、その四角の中にヒエラルキーを現す三角形をドットを赤く色分けてみた。次は今回のテーマである触覚感をどのようにだすかである。安価である活版でドットを盛り上げることは今や活版印刷がなくなったので出来ない。通常、ドットを空箔押し上げにすることが頭に浮かぶが、色の着いた小さなドットを浮かび上げるには相当の職人技が必要である。単価的に難しい。
 次はUVシルク印刷である。これはUVの透明な樹脂系インキを厚盛りにしてドットを刷ると凸に盛り上がって箔で押し上げたようになる。赤く印刷された平面のドットも盛り上がって見えるのである。
 予算のことを考えながら、編集者にUVシルク印刷の使用許可を問い合わせることにした。この時点で予算の枠を越えることはできない。普通の本は、紙はアートで、4色使用、表面加工はグロスのPPがけ(汚れないように紙の表面にポリ・プロピレンのフィルムを貼ったもの)が多いが、今回は触覚のある本作りをめざしているので、なんとしても普通の印刷方法は避けたい。やっと色数を全体的に減らすことで、カバーを2色にしてUVシルク印刷を使用することの了解がとれた。そして本の表4までUVシルクのドットを入れたかったが、予算的に無理であった。しかし表1だけの処理だが本に触れるとボツボツした触覚感が伝わるはずである。
文明の(部分)
文明の敵・民主主義(部分)


 最後の詰めはタイトルである「文明の敵・民主主義」を明朝系で大きめに組んでみたが、余りにもインパクトが強すぎて、時事的な本と間違えかねないと危惧する。それとタイトルの間に中黒が入っているのを見落としていた。縦組みではこの中黒を生かし切れないので、やや小振りにして、横組みで組み直してみた。また本文にも言葉の語源的な意味で欧文が多く出てくるので、タイトルの欧文訳を先生に作ってもらってタイトルに沿わした。但し翻訳本に見えないように和文のタイトルと著者は大きめに配置してみる。なんとか出来上がった。入校して、色校が出て、本の仕上がりを待つばかりである。
 本が書店に並べられ、本を触る人の反応が楽しみの装幀であった。